誰も私にはなれない。唯一無二の存在。(インターン1日目を終えて)
今日人生初めてのインターンシップというものに足を踏み入れた。
参加者を20人程度の小グループに分けて、社員との質疑応答形式の懇親会が行われたのだけど
そこで、わたしは分かってしまった。
これから始まる就活に受かっていくであろう人と、苦戦するであろう人の差が。
学生が話しているのを聞いているだけで分かは気がした。
そして私は間違えなく後者だった。
ハキハキと質問する学生たち。
やりたいことはなんでも臆することなく挑戦して、
ESに書ききれないほどたくさんの経験をしてきたんだろうな、と率直に思った。
それに対して私はどうだろう?
たしかに一年間、アメリカの大学に留学したし、何カ国も海外旅行に行ったし、ある時にはロシアまでひとり旅とボランティアをしに行ったのだから、経歴だけ見れば
「すごいね!色々経験しているね!」
となるかもしれない
でもそれらを経験している時も、乗り越えた後も、
過度に心配性で緊張しいで、気がのらない、家でのんびりする時間が大好きな性格は変わることはなかった
アルバイトを掛け持ちしたり、次々にインターンに参加したり、フラッと就活イベントに行ったりできない。
何をするにも勇気と覚悟が必要だ。
常に不安で緊張している。
こんな私は就活において
劣っている、より認められにくい存在なのか?
でも私はこう信じたい。
私には私にしかできないこと、役割があるはず。
そして色んな役割の人が上手く組み合わさってこの社会は成り立っている。
社会全体が大きな一枚のパズルだとしたら、私たちはその一ピースごとを担っている。
それぞれのピースの形は多種多様だが、最終的には1つの大きな絵が完成する。
社会もこんな感じではないだろうか。
長い年月をかけて積み上げられた自分自身の人間性を180度変えることなんてできない。
就活のために偽ることもできない、しなくて良い。
ありのままを受け入れて認めてくれるところで働こう、私は強く思った。
強欲に私のありのままを全て認めてくれと言っているわけではない。
身近な尊敬する人を思い描いて、この人みたいにもっとこうなりたい、ここをこのように改善しなければいけないという気持ちはたくさんある。
でも、根本的な人間性の部分はやっぱり変えたくても変えられないのだ。
でもそれも悪いことではない気がする。
私にはその人にはない、長けた部分だってあるのだ。
同じ物差しで測ったり、誰かと比較して良い悪いという
画一的な就活ではなくて、個々の個性や短所の裏返しとしての長所が認められるような就活であって欲しいなあと思った。
そしてそんな社会が実現できる仕組み作りがしたいなあ、とぼんやりと思った。